« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月23日 (日)

二日目

医療とアセスメントの講義があった。

そして、研究大会の時にもお話を聞いた

朝日新聞記者さんを講師に迎えての

震災と発達障害者児のお話。

1日に3領域というと やはり 入り口近くのお話になるか

あるいは内容を限定したお話になるか というところだけれど

日ごろ 自分が困っていることや 限定した分野の学習になりがちな我々としては

違った視点で考えられる機会になる。

医療の分野では ドクターらしからぬお話振りで

どちらかと言うと 心理・教育の立場に近い価値観が伺えた。

それでも 学際的連携の部分では

『共通言語』で話し合うことの提議がある。

ああ やっぱりそういう言い方をされるんやなあ。

うちの職場でも医療の立場の方は そういう表現をされる。

実は 保育士にはハードルが高い。

通常 共通言語を使おうという場合は

『専門用語を使わずに』と言い換えられると思うけれど

我々保育の分野で言うと 専門用語を使うから分かりにくいというより

一般常識的な言葉の使い方を知らないから通じない という解釈になるかも。

ひところ お役所的言い回しについては

分かりやすい言語に置き換えていくべし と言われた。

結局 今でもお役所仕事って ある程度は変わらない。

けれど 窓口業務のセクションなどは

市民に分かりやすく言い換えることはできる。

われわれの場合は ちょっとそれとは違うような気がする。

専門家の連携の中で通じるというのは

『分かりやすい』の意味が違ってくる。

口語体で話すのではなく 逆に小難しく表現する必要も生じてくる。

だってね 普段が子ども相手に話すから

幼稚な表現しかできなくなってるもの。

多種の現場から 自閉症という対象者の共通ということで集ってくる学会では 

改めて我々の言語表現力の幼稚さを思い知らされる。

なかなか乗り越えられない自己否定やけれど

何度も聞いてるうちに慣れていくかもしれん。

講座終了後 修了試験がありました。

これに合格しないと 資格取得になりません。

まあ 分かりやすい出題でした。決して難しいというものではないけれど

自分が到達できてるかどうかは 微妙かなあ。

2011年10月22日 (土)

お勉強です

自閉症スペクトラム支援士に挑戦してます。

資格そのものが大事と言うより

多面的 包括的に学習できることが大事と思って

講義を受けることにしました。

テレビ会議システムでの講義は

やはり 生のお話と違い 臨場感は薄いし

聞き取りにくさもありましたが

自分の居住地で受けられることと

全国で一斉に同じ講義が受けられることは 大きなメリットですね。

講師の先生方のお話は どれも聞き応えあり

日常の支援で漠然と感じてることを理論づけてもらえました。

ただ、福祉の分野で 来年度から制度変更のある児童福祉法については

少々疑問ももちました。まあ そのまんま 今の現場に直接関わる内容ですから・・・

これまで都道府県が児童の入園に際しての支給決定をしていたところ

市町村に移行します。そのこと自体 決して良いこととは思えません。

更に 今日の講義の中では、市町村に移行することで

今後 市町村に専門家の採用が増えるでしょう とのことでしたが

そんなことは 絶対にありえない!

行政の区分が小さくなればなるほど 格差は大きくなるはず

専門家をこれから雇用する余裕のある市町村もあるでしょうけれど

職員をどうにかして整理しないといけない自治体が

専門家を雇用できる余裕などあるわけがない!

障害児童の通園・通所施設は一元化になる。

これが 障害児童の福祉を向上させるのか?

一元化=発達障害児の受け皿ができる という

そんな簡単なことではないのです。

すでに 知的障害児通園施設では 境界域や知的障害が軽度のこどもは受け入れてます。なんでか。

幼児期の障害認定や障害受容は そんなに簡単じゃないからです。

障害の程度や 診断名など 確定しないこともあるし

保護者がそこまで受容もできない。

その子の状態像に応じての支援が受けられることこそ

早期発見早期療育の成果につながってるのですよ。

だから 発達障害児か 自閉症児か 知的障害児か

そんなことはこの際もともと関係ない。

それはともすれば発達障害児に関する専門知識があるとはいえない と言うことでもある。

法律の上で一元化にします と宣言することが大きなことである反面

現実に即してないことならば 思い切り税金を投入しないと

理想には近づかないのです。

せやのに実施主体を市町村にしてしまうんやから

出来るわけがない。

と言うようなことを 今日は感じてしまいました。

療育・教育の現場に立つ者や

現場職員のスキルアップにつながる研究を

付属施設などの実践を踏まえて進めている学者先生などのお話は

とても共感できるのですけれど

行政の話は なんか 違うな と感じてしまう。

政治が絡んでくるからでしょうね。

2011年10月15日 (土)

すいか割りの写真

震災の後、何も出来ない私に

直接的にできることがあった。

東北に住む知人が 被災地へ支援物資を運ぶという。

関西から物資を送るのも ままならないとき

せめて ガソリン代にと カンパをした。

たった一回カンパしただけの私に

知人は丁寧な報告を郵送してくれた。

未曾有の災害。

海岸線など全く見えない地域まで押し寄せた津波。

その被害からの復興は 半年経つ今も 遅々としている。

この夏 知人が被災地を訪れた時の写真も報告に添えられている。

宮城県亘理郡山元町の写真。

仮設の子ども達とのスイカ割りの風景。

でも、あちこち放射能値を測定し

『一番低く 安全な場所』でやったんやって!!

『一番低く』が『安全』といわざるを得ない 状況なんですよね!

スーパーの写真。

『原乳の放射能を測定し暫定規制値を下回っているもの』を販売している。

暫定規制値 なんか 信用できないやん。

それでも それを飲まざるを得ないんか。

福島は 悲惨。学校を再開しても良いのかと思う。

けれど 原発から離れた地域も 震災・津波の被害すら

回復していない。そして 放射能を意識してのくらし。

私たちは関西でのほほんと暮らしているけれど

日本がどうあるべきか

我々は 何をすべきか

考えないといけません。

そしてF子ちゃん ありがとう。

F子ちゃんの心が 響いてきました。

2011年10月10日 (月)

アトム 松原公演

考えてみれば、アトムは科学の子というより原子力の子や。

やっぱり ロボットと人間の境界線をなくし 愛を育むなんて

土台 無理がある。受け入れられへんし

その設定自体が わらび座の舞台らしからぬものやと思う。

原子力にやさしい心なんて ないさ。悪魔が巣くってるって。

だからこそ ドクタースーラのような 邪心の人が危険な思惑で使おうとする。

そんなこと 止められない。神楽坂博士の理想は夢見るお嬢様の理想。

お茶の水博士の頃は 科学の進歩を純粋に人間の幸せをもたらすと信じて

コバルト・アトム・ウランを作ったのかもしれんけど

原発と同じ。作ってはいけないものを 作ってしまったんや。

わらび座はやはり、大地に足をつけて土を耕し種をまき

四季の移ろいの中でいのちを育てていく

そんなくらしを舞台に 愛を語ってほしい。

あくまでも 原子力を生み出した あやまちを認めたらあかんよなあ。

とはいえ 今日 観たアトムの舞台は良かったよ~

前に観た時よりも 数段よくなったと思う。

それは ロボット一人一人の個性がハッキリしてきたから。

人物が出てるから 伝わってきたから。

ロボットじゃないんよね、そこは。設定はロボットでも 描いてるのは人間でしょ。

だから感動するんやんね。

やっぱり アトムではない題材で平和を語らないとあかんで 今こそ。

千代ちゃん トリさん 大御所の演技・歌、ますますの迫力で引き込まれる。

タッキー、チルチルとクロキの描写が変わってた。ああ こういう人なんやクロキって。嫌味な奴~って見えた。

ひろきくん トキオが更に純粋な若者になったよね。これはとてもロボット的な感じやった。

ゆうくんのタケと対照的やんね。人間はこうやねんな。弱い。

人間の持つ心は 環境によって 揺り動かされるねん。

タケも実は 愛を求めてるんや ってことには ならんのかなあ~

チータンがよくなったよ~ 少年らしさがあった。

ロボットたちのそれぞれの人物像が とてもハッキリしてきた。ダンス乗ってるよねえ。

カクちゃん 腕上げたねえ~~~ 関西人はやっぱり『間』の取り方が気になるよねえ。

せわしなさがちょいと変わったよね。自然な面白さやったわ。

たるたるく~~~ん 惜しいよなあ 惜しい あのソロがなあ!

上手下手とか 音程の問題とか そういうものじゃあないよね 舞台は生やから音がすこし上ずるとか 上がりきらないとか そんなんあるんやろうけど・・・・やっぱり惜しいよ。

あの背景でアトムの電飾?がないのは 辛いかなあ。

バトンがなかったんやってね。ほんなら置いてでも アトムがほしい場面やなあ。

最前列で見ると会場の雰囲気が分からない。良い面も悪い面もある。

今日は 会場が結構埋まってたよね。以前 なんの舞台やったかなあ

全然入ってないことがあった会場やから どうかな と思ったけどねにぎやかやった。

でも、最前列では そのこと自体 あんまり関係ない。

自分の気持ちで手拍子も涙もできる。ただ、一体感がない。

ジェット噴射の時の手拍子や 歌の後の拍手はどうやったんやろう。

千代ちゃんのあの心打つシーンの会場は 張り詰めていたんやろうか。

大阪はノリが良いと 舞台の上の人から聞くことあるけど

ほんまにそうなんかなあ?どうやったんかなあ。

2011年10月 9日 (日)

運動会のシーズンです

10月は運動会

今年もあちこちの幼稚園さんを見ています。

うーーん やっぱり厳しいよねえ 日本の基準って。

幼稚園の年中・年長さんって 35人で担任は1人なんですよね。

いろんな個性の子がいて、一斉教育35人はしんどい。

35人3クラス 縦に並ぶときは35人が3列で100人あまり

前に立ったリーダーの先生の言葉は せいぜい前半分の子にしか届いてないよ。

声が小さいんじゃあないんです。後ろの子の注意を引かない。

3クラスなんだから あとの2人の先生はどうしてるねん って思うわけですよ。

きっと並びきれてないうちに 指示が始まるんですよね。

2人の先生は 集まりきれてない子を補助してるのでしょう。

年長さんで そんなに指示待ちで良いの?って 感じてしまうのです。

先生の指示に従う・先生の言うことを聞く子を育てる教育は

結局能力主義になってしまいます。

特に 教育熱心なママさんたちに そういう雰囲気できてしまう。

その幼稚園はね、ここらでもセレブな方の多い地域にあるんですよ。

有名な〇〇〇選手とか 私立病院御曹司とか 大学教授さん 社長さん

大学病院のドクター  外交官さん 在日外国領事館の人 などなどなど

そんな中でも 苦手を持ったお子さんって 結構いるんやけどね

スポーツ選手のお子さんなんかは さすがにDNAか スポーツができるんです。

その子は リレーの花形です。その陰で 不器用を持った子の母が泣いてるのです。

その子の良さを認めたくても 周囲が遅い子はあかん みたいな応援のし方してるしね。

たかが幼稚園のリレーで 勝った負けた 抜いた抜かれたと

ワーキャー大騒ぎするなっちゅうねん。

さて 明日は久しぶりのアトムです。

ウメちゃんのパフォーマンスが 楽しみですわ

2012年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

Twitter

無料ブログはココログ